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昭和44年04月29日 特別奉修員



 昨日、ちょうど親教会から帰りましたら、手紙が何通も来とります中に、古川のお母さんから豊美宛に手紙が参っておりました。先日はあの、皆さんも御承知だったと思いますけども、金光もとまさ先生がここへ何日か見えておりましたです。四神様の直系のお孫さんに当たられる方なんですよね。その方があの古川家のほんな隣て言うから、東の方の隣でしょう。こう隣にはないですから。
 隣同士だそうです。ほれであのいっちょお土産を託けましたから、あの古川にもちょっとして物をまあ託けておりましたので、そのお礼が来てるんです。そのお礼の中にまあ色々あちら若先生が、あのずっと神経痛でだいぶ休んでおられて、最近おかげを受けておられる事から、まあ家の色んな模様を、色々詳しく書いてございます中にね。あの。昨日、威智雄うと言うのがあの、豊の婿になる人です。
 ちょうど休みであの野球の試合に行ったり、魚釣り暇な時にはあの魚釣りに行ったり相変わらずやってますと。先日もあの、魚釣りにまあ行ったら何とかっていう魚がもう、それこそもうピチピチした魚をあのだいぶん釣って来たそうです。それでそれをねあの金光様のお宅にすぐ持たせて頂きましたら、金光様が大変お喜びになってですね、もうこれはもう自分の一番好きな魚じゃち言うて、その喜ばれたち言うて。
 私はそれを、その豊美が読むのを聞かせて頂きよりましてね、その一つの雰囲気と言うですかね。何ち言うか、金光様と身近になって来たという感じですよね。豊美の婿が釣って来た魚を、金光様にあの、持っていったら金光様が大変お喜びになったというような事をその、これは何か夢のような感じがするんですよね。こう、大坪家との、その繋がりの中にそういう雰囲気が出けて行きよるという事。
 いよいよこれは、金光家に見習わせて頂いて、もう大坪家もいっちょおかげ頂かにゃいけんなと、まあ思うのでございますけれどもですね。こうして皆さんが、特別奉修委員の方達がこうして信心をなさる。こういう信心が続けられておるという事は、この合楽の教会の中にどのくらい素晴らしい雰囲気が出けて行くか分からんのです。ならそういう意味合いにでもおかげを受けておられますけれども。
 その一人一人がです、本当にその、そういう雰囲気を持った、ね、例えば教会の大きな働きに貢献しておるという自覚ですね。そういうこの、自覚を持って、私はこの奉修委員の方達の御祈念会が続けられて行くという事がいよいよ、密なる物になって行き、それが引いては銘々の信心の一つの情操ともなりゃ、雰囲気を持った、そういう雰囲気を持った皆さんの信心が、なら大坪の家の雰囲気が、そのまま皆さんの家庭にそういう雰囲気を持って行けれる事になると、私は信ずるんです。
 どうぞ一つ、そういうおかげを頂きましてね、只今、井上さんが頂いてお出でられる、一表半のお米を月に精米所に頼みに行ったと。ところが、もう大変な大きな精米所で、まあやっとそれを引き受けて下さったけれど、自分は精米の、その中の何か機会のあります、まあ米俵を整理するような方の中へずうっとこう、吸い込まれていくようなお夢を頂いたとこう言われる。
 だから私が一表半という事はね、あの貴方がた親子三人の事だろうと。貴方がた夫婦とおばあちゃんの事だろうて。いつもこの三人が信心の、ま中心になったり色んな問題になったらする訳なんですよ。だから峰子さん貴方がね、あの言うなら貴方が、その半表ですたい。だからその半表その物がね、あのそれこそ精米所の中に吸い込まれて行くようなおかげを頂いてですね。
 あのお父さんじゃないですがて、お母さんじゃないて、おばあちゃんじゃない。貴方自身がもっともっとあのなら、只今の御理解で言うならばまあ大坪の家の雰囲気て大したものじゃないですけれどもね、もう例えて言うならあの嫁やら親やら何やらかんやら分からんような、こう私はそういう意味合いで素晴らしいその雰囲気が合楽、ここにあると思うんですよね家庭の中にでも。そういう雰囲気がですねあのを身につけてお出でられたら、おかげが頂かれますよと言うてお話をした事ですよね。
 あの、安東さんも朝の御祈念の時に必ず私が天地を遥拝しますように、天地を拝まれるそうです。そしたら、もう今までかつて見た事のない、そういう大木があるだろうかというような、大きな木にね、注連縄がこう張り巡らせてあるところを拝ませてもらったと、こう言われるんですね。ですから、これは、木は心と仰るのですから、天地の心だろうと、私は思います。ね、
 同時にそれは天地の心を心としてと言うのですからね、私共の信心は。ですから天地の心を心としてるのですから、私どんがやっぱりそういう、見た事もないほどの大きな木にならにゃいけんという事。しかもそれに注連縄が張ってあらなければならないという事。本当にあの、例えば夫婦仲良うなる為に、もうお父さんほんとに私が悪うございました。これから私はむごうやりますけんでと。
 例えば言うたらもうそれで仲直りが出来るごと言うて。そげな口でどん詫びたような事じゃいかんと。それはもう心からの物であれば有り難い事だけども、それよりもっともっと大事な事はね、本当に例えばそこはどうでもいいから、もう本当に黙って受けて、黙って与える信心がまず出来なければね。そこから言わんでも生まれてくる雰囲気というものがね、素晴らしいんだという事を、まあ申しましたんですけれど。
 そういうね、雰囲気が自分の信心から溢れるようなもの。それをお互い一つ身に付けて行きたい。只今、皆さんの奉修委員の方の御祈念をさせて頂きます、一番初めに頂きます事がね。あれは何という楽器でしょうか、私は知りませんけれど、手まりのような楽器があるでしょう。こうこう回すとが。あの今、若い人達の何かね、あの、何ですかその、色んなその、若い人達のテレビで良く見るでしょうが。
 その中の楽器に一つ丸いのがあるでしょうが。こうこう、何かギザギザのついたつで回しよんなさる。それあれが、見よってもう実にその、リズムにね、何か皆のリズムを調整して行くような感じですね、あれが。別に大した音が出よるような感じでもないですけれども、あの何とがなしに、こうこう。中何か入っとるか何かのごたるですもんね、ガラガラいうて。あのね、あの楽器を頂くんですよ。
 だから、大した事はなかろうごたるけれども、合楽の一つの、まあコーラスと言うかね、何かそういうバンドならバンドが、合楽バンドがあるならね、その中のそういうような御用を皆さんが受け持っておられるんだと。だからちょっと狂うたらもういけないという事がね、分かるでしょう。為にはまず、そのチームワークもさる事ながら、その一人一人の信心がね、そういう何とも言えん
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